藤原一生の歴史

 藤原 一生(ふじわら いっせい)

1924年5月1日〜1994年2月27日

本名は一生(かずお)

東京市深川区(現在の東京都江東区の北西部)出身

一生が生まれてすぐに両親は離婚してしまい印刷工だった父親と二人で貧しい暮らしをしていたが6歳の時に父親も突然行方不明に。

ひとりぼっちになった一生はキリスト教教会の牧師、小野 一郎先生に救われ

キリスト教の施設で育てられる。

この時の出来事はのちに『あかい目』として出版され10年以上版を重ね創作童話としては異例のロングセラーに。


1937年、印刷所に就職した一生は仕事の傍ら紙芝居を子供達に見せてまわりました。

これは幼い頃に観た小野牧師の紙芝居の影響でした。

一生は紙芝居を観る子供達のキラキラと輝く目、笑顔を見るのが好きでした。


1941年太平洋戦争が始まり、中国に出征。

1945年終戦後帰国し焼け野原になった東京の街で見た親を失った戦災孤児達の姿、それは幼い頃の自分と重なるものでした。

「紙芝居では極一部の子どもしか楽しませることが出来ないが、童話を出版すれば、より多くの子ども達を楽しませることができる」と考えた一生は書店で働きながら多くの本を読み漁り、独学で一から文学を学び1952年童話作家になりました。

多くの作品の中で特に有名なのは昭和34年(1959年)に発刊された『タロジロは生きていた』で、後に映画『南極物語』制作のきっかけにもなりました。


街で見かけた、子供達が遊んでいる『けん玉』

その余りもの下手さに見かねて子ども達に教えるうちに、幼い頃に遊んでいた けん玉に夢中になっていきます。


昭和50年(1975年)自らが発起人となり日本けん玉協会を設立。

『けん玉』で子ども達を楽しませる世界を作ろうと『共通のルール』を設け、技を競い合うスポーツにするだけでなく『道』の精神を取り入れた『けん玉道』として子ども達の精神性や道徳性の鍛錬にも役立つ仕組みづくりを行ないました。


あせらず あわてず あきらめず

けん玉のひびき 平和のひびき

             一生


日本文化には世界的に有名な柔道のみならず、茶道、華道、剣道、合気道、弓道、等々多くの『道』があり、人々の心の支えとして息づいています。


日本古来の伝統と共に、これらの大切な文化がこれからも永く、そしてより多くの国の人々に伝われば、世界は平和になるのではないでしょうか。

  有限会社NKKサービスセンター

          代表 藤原敏光

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1991年の藤原一生先生特別講演会の動画

1991年11月3日に開催した藤原一生先生の特別講演会 演題は、人生の解剖 藤原一生先生の人柄がこの動画を見ていただくとわかるのではないでしょうか? よろしければ、是非ご覧ください。